石屋本人です。気仙沼大島は小雨です。
朝バスが道に迷ってしまい、大島行きフェリーに乗り遅れるところでした。あわてたために船着き場まで配達されたお弁当の受け取りをもう少しで忘れるところでした。フェリーはおよそ20分で気仙沼大島に到着しました。色々ありましたが、震災ボランティア初日がスタートしました。
初日の仕事は民家の庭先で廃材の片付けからです。大小さまざまなサイズの廃材には、くぎが多数出ています。一列に並び、一つずつ手渡すリレー方式で庭を横切り、畑の隅に積み上げます。やっているうちに少しずつ要領が良くなり、元気に声を出しながら手渡していきます。途中休憩をはさみながら、1時間半で終わりました。

次は畑の草刈りと瓦礫の片付けです。草は背丈まで伸びていますから、刈らないとその中に流れ込んだ瓦礫は見つかりません。ただし、草は津波の運びこんだ海浜砂の層の上に、新たに生えたものです。地震から半年になろうとしていますが、塩分を含んだ土地でも、草は驚くほどその背丈を伸ばしています。

見つけた瓦礫は、木片、ガラス・瓦、金属片などに分類して集積します。草刈りと小さな瓦礫集めは石屋と女子が担当し、男子は畑と周辺の土手に残る大型の木片や金属片の運び出しを担当しました。

力仕事の連続でしたが、元気に終えることができました。畑はやがて重機で表面の塩分を含んだ土砂を取り除き、数年かけて復旧させるそうです。「復興」ではなく、「復旧」がまず第一歩なのだと言われました。

お昼休みに依頼主から震災前後の経験談を聞きました。人は生きることの大切さを、生かされている事への感謝の中から見つけるのだという、感動的な話を伺いました。大いに励まされてしまいました。


依頼主の自宅は、築130年の立派な民家です。藁ぶき屋根をトタンで覆った大屋根の上に、立派な煙抜きの子屋根が重ねられています。屋内の柱の太さも、現代の建材の3倍はあります。チリ沖地震の津波も届かなかった位置にあったのに、今回は1階部分を津波が通りぬけてしまいました。しかし、多くの偶然が重なって、家族から誰も犠牲者は出なかったそうです。

若者は初日の経験があまりに彼らの日常とかけ離れていて、まだ消化できていません。依頼主の話に返事ができず、黙って聞き入るばかりです。事前学習と現地の体験には、あまりに大きく、しかも重い違いがあるのです。
明日からまた気を取り直して頑張りましょう。